珍獣にはまる2

前回の続きで、作品のモチーフとして作っている、珍獣について書きます。

砂キツネがいれば、砂ネコもいます。

フェネックという耳の馬鹿でかい、愛らしいキツネはペットとしても有名ですが、この北アフリカの砂漠に住む、砂ネコは、その愛らしい姿に似合わず凶暴で、あまり人に慣れないせいで、知っている人は、とても少ないようです。

幅広の顔に、大きな耳、家猫より一回り小さい体で、見た目はおとなしそうなのですが・・・。

この、砂ネコ、普通のネコの容姿に耳を大きくして作ればいいか、というとそうでもなく、顔の形、目の位置や大きさが家猫とは微妙に違うし、意外と作るのが難しいんです。

ナマケグマも面白い動物です。

日本のツキノワグマのような黒い体に、胸に月の輪のような白い毛が生えていますが、特徴的なのが、長い爪。

おそらく、この爪のせいで、「なまけもの」を連想してナマケグマと命名されたようですが、意外に機敏なようです。やたらふさふさとした毛がユーモラスで、創りがいがある、存在感のあるモチーフです。インド産ですが、インドでは、サーカスに登場して、色々芸もするようです。

最後にマヌルネコ。

このネコを最初にネットで発見した時は、その猫とは思えない、モコモコフサフサの、ダルマのようなずんぐりむっくりした体に、凶暴な顔がくっついているのを見た時、なんてふざけた奴なんだ、と思いましたが、実に作り甲斐のある、個性的なネコです。

体の可愛さと、顔の凶暴さが実にアンバランスで、創作意欲をそそります。

どうも、僕は単にかわいらしいより、意外性のある、キャラ立ちした、動物がお気に入りのようです。

これ以外にも、実際に制作した、珍しい動物をざっと挙げると、ダマランドデバネズミ(ハダカデバネズミの亜種で、こちらには毛がある。)、カモノハシ(これは、作ってみると、平べったいしっぽが、とてもカワイイことがわかりました。)、タスマニアデビル(カワイイ顔をしているが、肉食で、鋭い牙がある。)などがあります。

 

今後制作を予定しているのが、ピグミーマーモセット(小さな猿)、キンカジュー、などですが、この目で見たことがない動物達を、写真だけを見て制作するのは、大変な思い違いをしている可能性もあり、今挙げた動物達には、自分が生きている間に、一度はお目にかかりたいな、と思っています。

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珍獣にはまる1

色々な動物の人形・ぬいぐるみを作ってきました。

やはり、猫、くま、うさぎ、キツネなどの、定番人気の動物たちは、それになりに人目を引くのですが、もう、色々な人が、遣り尽した感があって、工夫をしても、既に誰かがやっている、という感じです。

極力個性的な作品創りをしたいな、と思っていますので、定番人気の動物たちを創るのは、なかなか難しいものがあります。ネコは、殆どの人が作りますが、全く新しい発想は、出にくいものです。

そこで、最近は、モチーフそのもののが、珍しく、かつ魅力的な動物を探して、作っています。

先日の、ドールワールドフェスティバルで、ふたつ向こうのブースの人が、石膏粘土で、耳の長い、ほっそりとした優美で美しい猫を、幾つも作っていたので、「はて、こんな優美なネコがいるのだろうか、この方の造形によるものなのだろうか?」と疑問に思い、訊ねてみたら、サーバルキャットという、実在する、中央アフリカに生息する中型の野生のネコでした。

僕の場合、気持ちが惹かれるのは、こんな優美な動物ではなく、どこか、ふざけたユーモラスなところがある、あるいは、ちょっとブサイクな動物達なので、このネコの存在は、全く気づきませんでした。

今回と次回は、今、好んで作っている、珍獣たちを紹介します。

まず、一番のお気に入りが、「チベット砂キツネ」。

これは、既に一部の人達には相当な人気の狐で、SNSなどで、おっさんキツネとして、紹介されることが多いのですが、一般的には、まだまだ知られていません。

写真で見るとわかりますが、ジト目で、間延びのした、中年のオヤジ顔をした、なんともユーモラスなキツネです。

様々な素材で作っていますが、「あっ、スナキツネだ」と気づく人もいて、笑いを誘うキツネです。

今回は、もうひとつ紹介しましょう。

「ビスカッチャ」といって、南米は、アンデスの山の上に住む、不思議なネズミですが、どうみてもウサギにしか見えない長い耳を持っています。しっぽが太くて長いので、後ろからみたら、うさぎでないことがわかりますが・・・。

ビスカッチャの面白いのは、いつもボーとして、眠たそうにしているところ。

この動物をネットで発見した時は、あまりのふざけた容姿に、大笑いしてしまいました。

眠たそうなウサギと思って買っていかれる人には、必ず、ビスカッチャというネズミであることを説明しますが、むしろ、不思議なねずみであることを、喜んでもらえるようです。

(次回に続く。)

 

 

ドールワールドフェスタを終えて

617~18日のドールワールドフェスティバル2017も無事終えることが出来ました。

観に来てくれた方、ありがとうございました。

今回は、2日目の夕方から大雨でしたが、午前中から午後にかけては、けっこうな賑わいで、前年なら2日目は、閑散としていたのですが、今回は、1日目と2日目の差はなかったようです。

今回、自分の展示ラインナップは、陶器を中心とし、すべてのジャンルを万遍なく持って行きましたが、テディベアとモヘアのぬいぐるみだけは、あまり点数を持っていけませんでした。

これは、715~16日に、東京国際フォーラムで開催されるテディベアのイベント、第25回「TEDDY BEAR with Friends CONVENTION」に参加を予定しているためで、そちらように、新作を取り置きしたからです。

その点、ドールワールドフェスティバルは、あらゆるタイプの人形ぬいぐるみが展示されており、訪れるお客さんの嗜好の幅も広いので、安心して、どんな素材の作品も展示できます。

休憩の合間に他の作家の展示を見て回るのがとても楽しく、自分にとっては、FANTANIMAと並んで、お気に入りのイベントです。

さて、今回のイベントで特筆すべきことは、昨年にも増して、等身大のリアルな人間の赤ちゃん人形を連れて歩くお客さんが多かったこと。あるブースで販売している人形ですが、極めてリアルに出来ており、遠くから見ると、本当に赤ちゃんを抱っこしているようで、人形だと気づいた瞬間、どきりとします。これは作家の個性を表現したアート作品とは、別ジャンルのものだと思います。

今回も、ビスクドール、テディベア、ブライス、市松人形、羊毛フェルト等々代表的なジャンルだけでなく、木彫りや張り子、陶人形、など、ありとあらゆる素材の作品が並んでしました。

素材の研究や、新ジャンルの開発のヒントを得るにはもってこいのイベントです。

また、今回のイベントで、Instagramで交流している数名の方が、作品を買ってくださり、ご自身のInstagramにアップしてくれたことが、とても嬉しかったです。SNSのつながりが、現実のつながりに変わることをリアルに体験し、SNSをないがしろにしてはいけないな、と改めて思った次第です。

3月の恵比寿のイベントで注目を浴びた作品の受けが芳しくなく、イベントごとに、注目を浴びる作品やジャンルも変わるので、今後どのジャンルを自分の主軸にしていけばいいのか、なかなか難しい問題です。

 

 

2巡目

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 テディベア アルパカ
アルパカ

いよいよ、617日~18日の2日間、浅草橋にて開催される「ドールワールドフェスティバル2017」に出展します(ブースはC8)。

去年も出展したので、今年は2年目。2回目となると、色々と状況も異なってきます。

昨年は、大きな展示会はこれが初めてとあって、もうワクワクとドキドキがマックスで、かなり早く(確か2週間前)から準備を始め、家の中で、展示のシミュレーションも、やってみました。

今回は、やるべきことの予想がついたため、準備を始めたのが、11日の日曜日からです(来年はもっと間際まで始めないかも)。勿論シミュレーションなんかやりません。

頭の中の想像で、あのスペースなら、こんな配置でいいだろう、と思うだけで終わりです。

今回は、宅配便の発送も、昨日やっと終えましたが、昨年は、もう2日程早かったと記憶しています。

なによりの驚きは、昨年会場に送った段ボール箱が3箱あったこと。

同じ展示スペースで、今回はなんと、1箱です(昨年11月のデザインフェスタは、2箱で、持って行くものが、徐々に減っています。)

今となっては、一体3箱も、何を入れたのだろうかと、不思議なくらいです。まあ、経験を重ねるごとに、不要なものが判ってくるので、減るのは当然ですが、今回は無理やり大きめのダンボール1個に押し込めました。

適度な緊張があると、それに伴って気持ちも高揚するのですが、色々なイベントをこなすうちに、すっかり慣れてしまい、高揚感も随分少なくなってきたようです。

45月のイベントなどは、すっかり余裕で臨んだため、一度釣銭の用意も忘れてしまったほどで、当日、慌ててコンビニや、自販機で小銭を作りましたが、なんとか危機を乗り切りました(予想外なところで、ドキドキを感じてしまいました。)

イベント出展に慣れてくると、周囲のブースで初めての出展者がいると、なんとなくわかるもので、先輩風をふかせて、アドバイスをしてしまいます。

昨年の「ドールワールドフェスティバル2016」では、随分と早く会場入りし、いそいそと準備を始めたのですが、今思えば、何人かのスタッフに声をかけられたのは、初心者まるだしで、挙動不審だったのでしょうね。

今年3月のイベントでは、隣のブースの方が、会場時間30分くらい前から準備を始め、開場時間前ギリギリに並び終えていましたが、もうそのイベントへの出展は、10回目だとおっしゃっていました(4月のイベントでは、隣の方が開場した20分後に遅れてきて、15分程度で展示しました。)。

その余裕が羨ましい気もしますが、ドキドキがあってのワクワクなので、なるべく初心のワクワクを忘れないようにしたいな、と思っています。

 

今回のイベントも、出来るだけ早めに行って、あの会場前の独特の雰囲気を味わいたいと考えています。

SNSとの付き合い

以前このブログで、SNSはあまり好きではないことをお伝えしたことがあります。Facebookも、twitterも、アカウントは持っていますが、現在殆ど開かない状況です。

Lineは、水彩画サークルなど、ごく少数のグループの連絡用のみに使用しています。

それに反して毎日のようにチェックし、3日に1度はアップしているのが、Instagramで、昨年の10月以降、せっせと投稿し、投稿数は170を超え、有難いことに、フォロワー数は、6月に入って1000を超えました。

何事も長続きしない自分としては、若干驚異的です。なぜ、こうもFacebooktwitterと違うのか。

 

自分で分析した理由は、いかのとおり。

1 投稿内容を、自分の作品に限定しており、こちらからフォローする人も、フォローされる人も、なんらかの作品を作り続けている人に限られている。

そのため、タイムラインをチェックしても、殆どが絵や、工芸品、ハンドメイド作品で、これを毎日楽しんで鑑賞しているので、飽きない。

ご自分で作品つくりが好きな方や、作品を鑑賞するのが好きな方は、是非Instagramをお試しください。

Facebooktwitterは、どうしても、個人の私生活を覗き見ることが多くなり、これが苦手です。

今日行ったレストランや、子供のお弁当箱の中身、近所の公園で子供が遊んでいるところ、など、投稿した人は楽しいでしょうが、個人的にはあまり興味が持てません。

2 世界中の、あらゆる世代の人から反応があり、自分の作品が、どんな人に注目されるかがわかる。

3 自己宣伝や広報、プロパガンダのような投稿も若干あるが、Facebooktwitter(宣伝多すぎ)に比べて圧倒的に少ない。

4 世代に偏りがない。Facebookは中年以降が多く、twitterはやたら若い人が多い。但し男女別で言うと、視覚と感覚にうったえるSNSなので、女性が多いような気がします。

 

以上ですが、最近動画を投稿する人が増えたのは、自分としては気に入らないところです。

Instagram以外では、Pinterestを週1~2回覗きに行きます。

個人の私生活を覗き込むような投稿が少ないところが、安心できます。

こちらは、今のところ自分では投稿はしていません。

素晴らしい写真、洗練されたアート作品が数多くアップされており、鑑賞することに関しては、Instagramを上回るものがあります。

 

僕は、ここでは、他人がアップした写真を収集しているだけですが、今のところ、BlogInstagram投稿するだけでも一杯一杯なので、Pinterestへの投稿は、当分ないと思います。

気になる周囲の作品

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 テディベア 陶器
三匹のネコ

イベントやコンベンションに作品を出展すると、どうしても周囲の作品が気になります。

おそらく僕だけではなく、殆どの人がそうでしょう。

特に、自分の作品と同ジャンルの作品は、とても気になってしまう。

この気になる気持ちの中には、「自分の作品より魅力的かどうか」、もっと極端な話、「自分の作品よりランクが上か下か」というのがあり、他人の作品と自分の作品を比較してしまいます。

まあ、情けない話ですが、そんなことを思いたくはないのですが、どうしても周囲と比べてしまう自分がいます。

仮に、なんらかのイベント、コンベンションで、100人の参加者がいたとします。その中で、もし、誰かが一定の基準で、順位をつけると、当たり前の話ですが、トップとビリが生じます。

僕が言いたいのはここから先の話です。

もし、ハッキリと順位が判ったら、自分も含め、大抵の人は、トップに近づくほどに、トップでないことが悔しくなり、少しでもトップに近づこうとする。

この時、下は見えていません。トップクラスが当たり前の前提で考えている。

真ん中辺りだと、せめて相対的に上位(50%以内)でいたい、と思うようになります。この辺りは、上も下も気になる。

下位周辺にいると、せめて最下位集団から抜け出したい、あるいは最下位集団だけは避けたい、と思うようになり、中位より上位は全く見えていません。自分より下がどれだけいるか、が気になる。最下位集団にいると、最下位だけは避けたい、と思うのはないでしょうか。

常に100から0が見えていれば、かなり冷静に物事を判断できるでしょうが、そうなると一層、人との比較ばかりするようになるかもしれません。

幸い、アートやハンドメイドの作品に順位をつけることはできないし、作品を数値化・点数化することもできませんので、結局自分の中の価値基準で、自分の中の最高を目指せばいい、という結論に達します。

「一人一人、目指しているものが違う」「みんな違ってみんないい」と思えるようになれば、人の作品は気にならなくなるのでは、と思うのですが、なかなか難しいですね。

でも、アスリートを代表とする、はっきりと順位をつけることができるジャンルの中に目指すものがある人は、本当に残酷で厳しい世界にいるな、と思います。

ところが、勘違いすることなく、自分の実力を冷静に判断できる、というメリットもあり、果たしてどちらがいいでしょうか。

 

他の人の、物凄くユニークで(ややイタほどに)、尖がった作品を見ると、時には大いなる勘違いも必要かな、と思ったりもします。