時間の不思議

i-ppoたおか 田岡正臣 下高井戸 東京 テディベア 杉並
むっちりインコです

いよいよ次のイベントが迫ってきました。

122日に浅草で開催される、「アニマルネイチャーワンダー」です。

前回のイベントから約3カ月空いたわけですが、有難いことに、大体計画通りのペースで制作出来ました。

自分だけかもしれませんが、23カ月程度の期間でやりたいことを計画すると、大抵の場合、思ったより早く仕上がって、後半には若干の余裕が出来ます。

ところが、これが1年以上のスパン、特に3年以上の間でやりたいことを計画すると、もう全くと言っていいほど時間が足りなくなるのです。やりたかったことが、あれもこれも、中途半端になっています。

短期で考えた場合、余裕が出るのに、長期の場合、全く時間が足りなくなる、というのが長年の疑問でしたが、最近この謎がとけました。

つまり、こういうことです。

創作する場合、2カ月程度先のことなら、週どれだけ創作に時間を割けるか、おおむね正確に見積れます。しかも、想定外の用事が発生することを見込んで、予備の時間も確保します。この予備に割いた時間が、最終的に余裕となるようです。

では、長期では何故、時間が足りなくなるか。

数年のスパンで、創作に関して、あれをやろう、これをやろうと思った場合、漠然とですが、どうやら、365日殆どすべてを創作に充てると考えて計画を練っているようなのです。

同時に、ウクレレは数年たてば、これくらいは出来るだろう、ここ数年で見逃した映画を3年以内にDVDで制覇しよう、あの作家の本を読破しよう、〇をしよう、△に行こう、と創作以外にも、やりたいことを、同時にあれやこれやと計画しているのです。

しかも、それぞれやりたいことを、別々の時間に考えているので、どう考えても、無理なことをやろうとしているのです。

思えば、うんと若い頃も、色々やりたいことがあって、それぞれに夢を膨らませていたのですが、結果として出来たことは、ほんの僅か(若ければ若いほど、トータルの時間が見えないので、この罠にはまりやすいと思います。)。

恐らく、僕が残りの人生でやろうとしていたことも、残された時間ですべて実現するのは難しいのでしょう。

 

そこで結論。月並みですが、1365日というカバンの中に、やることを詰め込む場合は、一旦やりたいことすべてを洗い出して、大事なものから詰めていき、パンパンになる手前で、残りのやりたいことは、清く諦めよう、と最近思い始めました。