ギリシャやローマの市民文化は、奴隷に支えられていた、ということを、どこかで読んだことがあります
ルーティーンな日常の労働をすべて奴隷にまかせていたので、市民に時間的・経済的な余裕が出来て、文化・芸術やスポーツが発展した、ということです。
中世以降の西洋の芸術や文化も、基本的には貴族の時間的経済的余裕から生まれたものだという説もあります。
そんなに遠くない未来、AIが発達し、ルーティーンな労働・作業をすべてAIやロボットが担ってくれたら、殆どすべての人が、「好きなことを、好きな時に、好きなだけ」出来るような世の中になるかも、と時々、夢想することがあります。
その時、世界の文化、芸術、スポーツは、もっと裾野の広い、誰もが生涯を賭けられるようなものに、なっていればいいな、と思います。
今、社会に出る前の若者達が夢見る様々な職業・仕事は、一握りの運と才能に恵まれた人だけのもので、それをいつまでも追いかけていると、「世間知らず」と言われます。
でも、例えばアートに興味があるすべての人が、鑑賞(購入)や創作する時間・経済的余裕がある時代になれば、アートはもっとカジュアルで、身近なものになるのでは、と思います。
お互いがお互いの創作物を鑑賞・購入すれば、アートのパイは無限に広がり、身近でカジュアルになり、もっともっと多くの人が、好きなことで食べていける時代が来ます。
実は、今もインターネットの恩恵で、以前からは考えられない位、「好きなことを、好きな時に、好きなだけ」できる機会・チャンスが増えています。
このことに気がついている人が次第に増えていると思います。
同調圧力の強い日本社会ですが、ほんのちょっとした勇気があれば、すでに、僕が考える近未来と変わらない世界に今すぐ住むことも、不可能ではない、と10代、20代の人達には言ってあげたいな、と思っていますが(果たしてどれだけこのブログを若い人が読んでくれているでしょうか・・・)。