繊細さについて

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のんびり行こうよ

ぬいぐるみや人形を作っていることから、僕は周囲の人たちから、緻密で細かい人、と思われています。

僕のブログを以前から読んでいただいている方は、僕が緻密ではない、細かい人ではない、ことはご存知かと思います。また、付き合いの長い、かつ親しい人の中で、僕が緻密で細かい人だと思っている人は、一人もいないことも明言しておきます。

しかし、正直、緻密で繊細な作品つくりには、ずっと憧れがあります。

以前通っていた陶芸教室「マダン陶房」で、繊細で、緻密な作品つくりをする方がいました。

染織作家が本業なのですが、食器や陶人形作りにも、抜群の繊細さ、緻密さを発揮していました。作品展でも、彼女の作品は僕の目には、群を抜いて素晴らしいものに思えました。

自分にも、あの繊細さや緻密さが備わっていれば、と何度思ったことか。

しかし、心のどこかで、時間さえかければ、自分にもできる、という自負はありました。

ある時、その方の作品つくりの過程をじっくり観察したことがありました。

その時、繊細な手さばきは、その方が呼吸するのと同じくらい当たり前であることに気づきました。テクニカルな技巧は、訓練である程度上達すると思うのですが、繊細な作品つくりというのは、「時間さえかければできると言うものではない」ということが理解できました。乱暴にいってしまえば、繊細さは才能の一種だと思います。

以前、陶人形を宮越先生に習っているとき、「仕上げは丁寧に」と言われていましたが、この「丁寧」と「繊細」は、違います。

丁寧に作ることは、意識すればできます。

繊細な作りは、もう最初の一歩、アプローチや発想から自然と、違うようなのです。

さらに、ご本人には、緻密に、繊細に創ろうという意識もないのです。

今では、憧れつつも、自分の作品の中に繊細さを取り入れることは諦めていますが、繊細さにも、大きなデメリットがあります。

繊細な作品からは、ダイナミズム、エネルギー、力強さを感じることはできないのです。

また、圧倒的な存在感とも無縁ですし、プリミティブな素朴さや、素直さとも無縁です。

では、自分の作品にそう言ったメリットがあるのか、と言われれば、それもないので、なんとも中途半端なところでとどまっているようです。

 

あえて言えば、自分の作品に、童話の世界のような素朴さや素直さが備わればいいな、と思っていますが・・。