先日読んだ医者が書いた本で、「晩年になって、自分の人生は一体何だったのだろう」と後悔する人の共通点は、人生を周囲の期待や世間評価によって選択してきた人達だ、と書いてありました。
全くその通りだろうと思うのですが、殆どの人は、深く考えることもなく、受験戦争に算入させられ、偏差値に沿った大学に行き、男性ならできる限り世間評価の高い職業に就き、組織内で上を目指す。女性なら、適齢期に結婚し、2人の子供をもうけ、社会人として送り出し、郊外に家を買い、働ける限り働く、というのがオーダーメイドの人生でしょう。
僕も、人生のかなりの部分、このオーダーメイドに沿って生きてしまいました。
僕の場合は、48歳頃から、残りの人生を真剣に考え始めて、50歳になってからようやっと、自分の本当にやりたいことの輪郭が、見えてきました。その後、約10年かけて、やりたいことを探しあて、今の自分がいます。
自分で選択しているつもりでも、多くの人は、周囲の期待や、世間評価から、人生を選択しているように思います。
僕の教室に来られているメンバーの多くは、オーダーメイドの人生ではなく、残りの生涯は、本当にやりたいことをやって生きたい、それがぬいぐるみ(orテデイベア)かもしれない、と思って、賢明にチャレンジされています。
もちろん、道半ばで、様々な理由で挫折される方もいますし、やっているうちに、自分のやりたいことは別にあったと気づかれ、教室を止める方もいます。
でも、確実に自分のやりたいことの足固めをされて、前進している方、すでに作家としてデビューされているかたも、少なからずいらっしゃいます。
日々、皆さんの夢のお手伝いができて、教室をやっていて本当によかったな、と思います。自分の教室に来られた方が、ひとりでも多く、自分の目標を実現し、やりたいことを、やりたいようにできる人生を歩んでもらえればいいな、と思っています。
今回は、ハンドメイド作家をやるなら、ホームページはあった方が良い、ということについて書いてみたいと思います。
僕の最大の広報ツールは、SNS(TwitterとInstagram)ですが、これは誰にでも簡単に始められて、効果も絶大ですが、欠点もあります。
この欠点が大いに問題で、これが解消されるならホームページを持つ必要はないのですが。
ずばり、欠点は、情報の一覧性がない、ということです。
アップした情報は垂れ流し状態で、過去に、どこにどんな写真やつぶやきがあったかを探すのは至難の業です。
TwitterとInstagramを常時活用している人でも、1年前まで遡ってチェックする人は極めて少ないと思います。
その点ブログは、書いたモノ、写真等を、カテゴリー別(年月別、ジャンル別等)に整理できるので、SNSよりは若干情報の一覧性に秀でています。
しかし、ブログといえども、ホームページに比べるとやはり一覧性に劣ります。
ホームページは情報を階層化できますので、必要な情報がどこにあるのか、とてもわかりやすいというのが最大のメリットです。
ただ、あまり階層を深くすると、自分(制作者)が更新するときに、どこに何を書いたかわからなくなる恐れがあるので、僕は3階層までに止めていますが。
そして、ブログに比べて世間的な信用度が高い、ということが言えます。HPを持っているくらいだから、信用できるだろう、と思ってもらえるのです(特に教室の生徒勧誘やネット販売などに絶大なる効果があると思います。)最近のホームページは、更新作業も実に簡単にできますし。
こう書くと、良いことだらけですが、欠点は、最初の立ち上げに苦労する、特にサイト全体の設計が若干難しい、ということです。
ここさえ乗り切れば、良いことだらけなのですが、僕はホームページ運営会社の1日研修に参加し、サポートしてもらいながら、サイトの骨組みだけを制作し、自宅に帰ってから文章を打ち込んで、それをそのまま運用しています。
周囲の作家にも、お勧めしているのですが、未だに、誰もホームページを作った人はいませんが、ちょっとだけ苦労するだけで、とても便利になると思うので、是非とも挑戦してみてください。
テディベア作家やぬいぐるみ作家はアーティストか、ということに関して、私見を書いてみます。
いきなり結論を書けば、テディベア作家=アーティストではないが、ごく一部に僕からみて、アーティストと思える人がいる、ということになるでしょうか。
某協会が、テディベア作家をアーティストと呼んでいますが、気恥ずかしい限りです。
何をもってアーティストというか、というのも人によって違うので、取り敢えず自分なりの定義を書くと「周囲に迎合することなく、自らの思うまま、信じるままに制作し、かつ感動を呼ぶ作品が作れる人」となります。
僕の知っている範囲では、現在作家として活動している方の1割に満たない方が(僕から見て)この定義に当てはまります。僕は、この1割弱の方々を尊敬しています。
勿論、その作家に人気があるか、売れているか、は一切関係ありません。全く売れていない方もいますし、殆ど知られていない方もいます。
念のために書いておきますが、自分の中では、感動と感心は異なります。
技量的に優れた作品、職人肌の作品には感心させられますが、感動するとは限りません。
自分自身のことについて書くと、自分はしっかりと周囲(お客さんや、ファンの方々)の嗜好を気にしていますし、制作に関しても、周囲に大いに振り回されています。
感動する作品が作れているかどうかは自分ではわかりませんが、全く自信がありません。
ただ、部分的にアート的な要素を取り入れる工夫はしていますが、自分自身はアーティスト指向ではありません。
かといって、職人指向でもないので、実に中途半端なのですが、(売れたら嬉しいですが)売ることだけを目的とはしておらず、人が自分の作品を見て、微笑んでくれたら良いな、おだやかな、優しい気持ちになってくれたら嬉しいな、と思って制作しています。
今も、「絵本から抜け出たみたい」「見ていると癒やされる」というお客さんの言葉に励まされて制作しています。