みそろぎ人形展

913日から19日にわたって、丸善丸の内の4階ギャラリーで開催されていた、「みそろぎ人形展」に行ってきましたので、レポートします。

主催は、「FANTANIMA」と同じく、羽関オフィスです。

国内外約50名の人形作家(女の子の人形=ひとがた、がメイン。少しだけ動物人形も出ていました。)の作品が出展されていました。

海外からは、ロシア、東欧から。

「赤ずきんちゃん」が制作できる、水木ゆかりさんの、ワークショップも開催されていました。

(今回は日程が会わず、参加できなかったのですが、来年も開催されれば、是非参加したい!)

FANTANIMAに出展していた方で、こちらにも出展されている方も一部いましたが、趣と雰囲気は、かなり異なっています。

サブタイトルが「創作と民芸の出会い」となっていて、今回は、張り子や郷土人形など、日本の伝統芸が、かなりの数、出展されていました(ロシアの郷土人形も出展されていました。)。

しかし、何といっても、メインは、アート性の高い、女の子の人形です。

「みそろぎ」とは、この展覧会のために作られた造語で、英語のミソロジー(神話学)を「ひらがな」にしたとのこと。

なるほど、異次元の世界から舞い降りたような、怪しげな人形が多いのはそのためか、と思いました。

僕が言った時、たまたま羽関氏がいらっしゃって、少し立ち話をしましたが、羽関氏としては、動物よりも、こちらの人形(ひとがた)の方が、思い入れが強いようです。

FANTANIMA」も、幻想的な雰囲気が立ち込めているのは同じなのですが、あちらは動物がテーマだけあって、愛らしさが前面にありましたが、この「みそろぎ人形展」は、作者の内面のドロドロとした部分が湧き上がって、作者の分身のような作品が多く、じっと見ていると、かるい眩暈(めまい)がしてくるような気さえします。

独創性は互角ですが、作者の思い入れの強さは、「みそろぎ」の方が、圧倒的でした。

今回初めての、閲覧でしたが、毎年この時期に開催されているので、来年からも、見逃さないようにしたい、と思います。

 

 

茶色のポメラニアン

先日、久々にペーパードールのワークショップを開催しました(ここのところ、しっぽで立つ人形が続いていたので。)。

ホームページから3人の申し込みがあり、きっと、どこかのイベントで自分の作品を見てくれたのだろう、と思っていました。今までで、一番多いのが、イベントでお会いした方、次がgoogleでの検索。

さて、当日3名の方がいらっしゃったので、早速、当ワークショップの申し込みのきっかけをお伺いしました。

今回は、なんと、Instagramで僕の作品を見て、そこからホームページを知ったとのこと(ページにサイトのURLが貼ってあります。)。

「茶色のクマのような犬の写真をアップしています。」と言われ、一瞬わからなかったのですが、そういえば最近立て続けに、もこもこの不思議カワイイ茶色の犬をアップしたページを立て続けにフォローしたことを思い出しました。

自分が持つポメラニアンのイメージとかけ離れていたので、ポメであることに気づきませんでした。

お三方は、なんと茶色(というかチョコレート色?)ないし黒のポメラニアンを飼っている者同士、Instagramで知り合ったそうなのです(ただのポメラニアンではなく、黒or茶色限定。)。

ワークショップで完成した作品と、ワンちゃん達との記念撮影を、早速Instagramにアップしていただいたのが、上の写真です。

作品も、素敵に出来ました!

なんと、このチョコポメ達がお三方の中を引き合わせ、さらに僕のワークショップに導いてくれたのです。

皆さん、クマを作ったのですが、愛犬のイメージで、制作されたようです(まあ、写真を見ればおわかりの通り、殆どクマさんのような子もいますが。)。写真をみてなるほど、と思いました。

ポメちゃん達、「茶太郎」「ポメ吉」「コテツ」ありがとう。

ネットが普及した現在、ニッチな嗜好の人達が、お知り合いになるチャンスが格段に増えていることは、あちこちで聞いて知っていましたが、まさかここまでとは思っていませんでした。

僕も、相当ニッチな趣味の持ち主なので、こうやって、Instagramでつながればいいのか、と思いました。

 

別アカウントで、〇〇とか、××の専用ページを立ち上げてみるか。

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ハンドメイドと復興支援

昨年の秋に続き、910日、2度目の「世田谷アートフリマ」に出展しました。

昨年のブログにも書きましたが、三軒茶屋のキャロットタワー内で行われるハンドメイド作品の展示会で、今回で第28回目となります。23区内で行われるイベントですが、ローカル色が濃く、お客さんの大半は世田谷区民です。

昨年、1,000円以上のものは、このイベントでは、あまり購入対象にならないことを知り、僕の場合、大半の作品が圏外になってしまうこともあって、今年は出展しないつもりでしたが、人形/ぬいぐるみを購入する層と、習ってみたい層は、異なると思い、今回は、当教室、「i-ppo handmade」の広報宣伝のつもりで参加しました。

この点に関しては、集中的にアプローチしたので、多少の手応えがあったのですが、今後どのような問い合わせ、申し込みがあるか、楽しみです。

さて、今回は、お隣のブースで展示されていた方々についてご紹介してみたいと思います。写真の「復興和帽子」という3人の女性グループです。

手ぬぐいで作った帽子、エプロン、ブックカバー、お手玉人形、巾着、メガネケースなどのハンドメイド作品を、100~500円の価格帯で販売していました。

大変な人気で、お客さんが絶えず、3人並んだ写真を撮ろうにも、なかなか撮れない状況でした。

この方々は、売り上げのすべてを、福島の復興支援に寄付するのです。

3人は、楽しみながら作り、楽しみながら売り、しかも、その売り上げを社会に還元しているのです。

ハンドメイドへのアプローチは、作り手が100人いれば、100通りあるとは思っていましたが、なるほど、こういうアプローチもあったのだと、気づかされました。

しかも、この方々、売る際には、一言も、「売り上げは復興支援として、寄付します」などと言わないのです。

自分たちがまず楽しみ、その結果得られたものを、支援に回せれば良い、と考えておられるようで、善意の押し売りをする気配が全くないのに、感動しました。

また、次に何を創ろうか考えている時が一番楽しいと、言われていました。

やはり、目的は異なっても、物を創る人のツボは、やはり自分と同じく、そこなのだなあ、と思いました。

売っている姿が本当に楽しそうで、ボランティアを匂わせる、生真面目な雰囲気は微塵もなく、その楽しんだ結果が、支援に結び付くなんて、こんなやり方もあるのか、と眼からウロコの体験でした。

 

 

初心忘するべからず

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 ネコ イラスト
お手て繋いで~♪

毎回イベントに出展して思うのですが、初めての出展にはけっこうドキドキします。

6月の、「ドールワールドフェスティバル2017」は2回目の出展でしたので、会場の様子や、開催までの準備の流れがわかっていたのでため、随分と余裕を持って臨めましたが、初めての場合は、やや緊張感が高まります。

何か大きく勘違いしていることがあるといけないので、開催要領も読み込みますし、準備作業にも、余裕を持って、早めに出かけます。

ドキドキとワクワクが丁度いい塩梅なのが理想なのですが、やはり2度目以降のイベント出展は、気が緩みます。

準備時間も予想できるので、6月のイベントはけっこうギリギリに行きましたが、両面テープなど、大事なものを忘れたりします。

何回経験しても、「初心忘るべからず」で臨むのべきだな、と思うのですが、実は、大きな思い違いをしていることに、つい先日気づきました。

今僕は、慣れたと言って慢心しないで、初めての初々しい気持ちをいつまでも失わないようにという意味で「初心忘るべからず」という言葉を使ったのですが、そう思っている方も多いのでは?

実は、ネットで調べたところ、これは、世阿弥が芸事についていった言葉だったのです。

世阿弥の言う「初心」とは「始めた頃の気持ち」ではなく、「芸の未熟さ」らしいのです。
初心者の頃の不完全な、みっともない未熟さを時々思い出すことにより、「あの頃のお粗末な状態には戻りたくないな」と思うことでさらに精進できるのだ、というのが本来の意味。おー、なんという厳しさ。

これは、大いに思い当たる節があり、昨年、個展を開催する際に、遥か昔に描いた自分の絵を観た時のことを思い出しました。

描いた当時は上出来だと思った絵が、時を経て振り返ると、なんともお粗末であることに気づいた時、やはり、同じことを感じました。

でも、今の自分にとっては、「初心忘るべからず」は、慢心しないで、初々しい気持ちをいつまでも失わないように、という意味の方がしっくりします。

 

世阿弥の見解は、頭の片隅に置いておいて、いつまでも、初心のドキドキを失くさないようにしたい、と思っています。

傑作と凡作

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 テディベア 陶器
文句あっか?

 入念に計画して、時間をかけたものが良い作品になるでしょうか?

絵を描く人、造形する人、ハンドメイドで作品を作る人は、皆気づいていると思うのですが、考えに考えた挙句の作品は、佳作にはなっても、傑作にはなりにくいような気がします。

 陶芸の仲間は、「〇〇が下りてきた時」傑作が生まれる、と言います。

この〇〇には、単に「神様」であったり、「陶芸の神様」であったりします。勿論これは比喩で、集中の極みに無心で取り組んでいると、ふと、考えてもいなかった一手が入り、あるいは、手が勝手に動き、思いもしなかったプラス効果が生まれ、はて、これは自分が描いたもの、作ったものだろうか、と後になって思う瞬間があります。

手が勝手に動く、というのは比喩ではなく、本当にそう感じる瞬間があります(オカルト的な話じゃないですよ。)

滅多にないことなのですが、こういったとき、たいてい普段の自分のレベルを超えた作品が生まれます。

スポーツ心理学でいう、「ゾーン」に近い感覚でしょうか。あるいは、「フロー」の状態。

いずれにせよ、そういう状態になろうと策しても、そう簡単には、その状態になれないし、

あっという間に、去っていきます。

 経験上、この作品は、〇〇に出展するから、どうしても良い作品にしなくては、という思いが強いと、「手が勝手に動き、思いもしなかった効果が生まれる」という状況からは、確実に離れていきます。

以上のことは、僕の個人的な体験ですが、他の作り手と話をすると、表現が違っても、大体同じ経験をしているな、と思います。

勿論、それぞれの作り手のレベルに応じてのことであり、実際のところは、その作り手のマックスが、奥底から湧き出てくる、といった感じでしょうか?

 野球選手が絶好調の時、ボールが止まって見える、周囲の選手がスローモーションのようにゆっくり動いて見える、などという話を聞いたことがありますが、これも似たような話なのでしょう。

 

作る作品すべてが傑作という人は、すべてこんな状態で作っているのかな、と思ったりもしますが、もしそうなら、それが出来るのも才能の一種なのでしょうね。